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2025年04月20日 (Sun)18時50分34秒
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2011年03月24日 (Thu)03時08分58秒
余震に慣れてしまいました。
まあ震度6以上のものが来たら冗談ではなく泣いて神に命乞いをする自信がありますが(地震だけに…笑)、たかが震度5強程度でふぐすまやべえwwwwとか外野からガタガタ言ってる方達を鼻で笑い斜めに構えて眺めるぐらいには成長しました(地震だけに…笑)。

それで気持ちも落ち着いてきて、食料も結構あるのでこのまま原発が落ち着き水道が復旧するまで篭城かなあと思いつつ、ようやく4年かけて養った引きこもりスキルを活かせる時が来た事を不謹慎ながら嬉しく思い、もう避難という言葉自体自分の中で終わコンになっていた昨日、母親から「明日東京に行こう」と言われ驚愕しました。
何故このタイミングで行くのか分かりませんが、そういう事らしいです。
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2011年03月23日 (Wed)00時59分43秒

こんなのあるんですね。初めて見ました(当たり前ですが)
おそらく停電した状態でも食べれるようにこういう風になっているんでしょうが、家は電気が使えるので、普通に温めて食べました。
何かサトウさんの良心を佐藤が踏みにじっているようで申し訳ないです…

あとこの写真の為にサトウのごはんをひたすら12枚ぐらい撮ったんですが、その途中寄ってきた猫に「こら猫くん!あっちに行きたまえ!!」と言ったら猫から軽蔑の視線を向けられました。この猫はジョークというものが分からないんでしょうか?まったく(怒)
撮った後PCに取り込み、「これボケすぎだろだめだめ」「これきれいに撮れてるな…どっちがいいかな…」「これ捨てるのは惜しいな…」とサトウのごはんの写真を厳選しました。
これでピューリッツァー賞はもらったで

何で地震に遭った上にこんな事しなければならないんでしょうか(涙)
2011年03月21日 (Mon)23時18分53秒

ついに食料がポテトチップス一袋と板チョコレート三枚しか無くなってしまったので絶望のズンドコに突き落とされた気分になっていた最中、自治体の人?が家に来て置いていって下さいました。とてもありがたいです。

そういえば書き忘れてましたが、地震あった日も緊急地震速報出てびびって外に飛び出したら、近所の人が「大丈夫ですか?お父さんお母さんは?怖いなら一緒にいよう」「何かあったら叫んだりしていいからね」とこんな得体の知れない引きこもりに声をかけてきてくれて嬉しかったです。

とりあえず餓死は回避出来そうです。
しかし、さっきテレビをつけたら、なんと恐ろしい事に大福島帝国放送の(一部の若者を中心とした非国民以外には)超人気番組であるカラオケグランプリではなくネプリーグがやっていました。
福島県はもう終わりです。
2011年03月19日 (Sat)19時20分53秒
とりあえず地震から一週間経過して気持ちも落ち着いてきたので、割と真面目に今回の地震の事をメモしておきます。

11日、卒業式がありました(自分は卒業証書を受け取りに行きませんでしたが)

この卒業式の事をどういう風にブログに書こうかと部屋でぼけーっと考えていたら、地震が来ました。
最初は体感で震度3ぐらいの強さでしたが、すぐに非常に強い揺れに変わりました。
とんでもない恐怖を感じたのでその瞬間片手でベッドの支柱を掴み、もう片方の手で頭を押さえてうずくまりました。
本棚から本や物はほとんど落ち、机の上にあったコップは落ちて割れました。
この時猫が動じておらず、窓からじっと外を眺めていたのが印象に残っています。

水槽もとても揺れていて今にも倒れそうだったので押さえに行こうかと思いましたが、あまりの揺れの強さと恐怖で動けませんでした。
家全体がガシャガシャガシャと音をたてて揺れていて、自分はうずくまりながら「家が倒れてしまうのではないか」と本気で思い、神様助けてください助けてください怖い助けてください死にたくないしにたくない死にたくないとひたすら考えていました。揺れは一分以上続いていたと思います。

揺れが収まった後、これはえらい事だと思い涙目でとりあえずPSPを起動し2chとtwitterを見ようとしましたが何回試してもネットに繋がらなかったので、一階に下りてテレビを見ました。
そしたら、「大津波警報」という聞き慣れない言葉と、「予想される津波の高さは10m」とか訳の分からない事を言っていました。
だって日本でそんな大きな津波なんてありえないし、もしあったら沿岸部は壊滅です。

親に「安全な高台に避難しよう!1!」と言いましたが、「ここが高台だよ」と返されました。確かにそうですが、でも10mではこちらにも来るかも…と不安に思いながらテレビを見ていました。
しばらく見ていたら、自分の住むいわき市と、地震の一週間程に行った仙台空港に津波が押し寄せて、建物が上の方まで海水で浸り、車がまるでおもちゃのように流されている映像が映されました。

意味が分からなくて、「何だこれ…何だこれ」とつぶやきながら、笑いました。よく出来た夢だなあと思いました。少なくとも日本で今起きている事とは思えませんでした。
ようやく冷静になってきて、母親がテレビを見て「しばらくあっち(仙台)には行けないね」と言っていたので「そんな事言ってる場合じゃないでしょおおおおおおお!!1??」と絶叫しました。
しかしまだ自分は気が動転していたらしくひたすらタウンページをひいたりしていました。

外を見たら、三月でさっきまで晴れていたのに何故か雪が降っていました。不気味でした。


↑水槽台の支柱が傾いたっぽい
しかし水槽は倒壊せず。さすがNISSO製震度6強でもなんともないぜ

12日
昼頃ようやくネットに繋がる
断水が始まる
余震に異常なまでの恐怖を示し、起こる度に玄関まで裸足でダッシュし外に飛び出す
怖くて眠れないので徹夜
食欲が低下し始める

13日~16日
ニュースで原発の悪いニュースを見る度、恐怖でキーボードを打つ手が震えて涙が出てくる
怖くて2chは見れない
逃げたくてもガソリンがなくて逃げられない
いつまでこれが続くのか分からない
怖い
全く眠れず、徹夜3日目で座ってPCをしている時無意識に寝た

17日以降
気持ちが落ち着いてくる
どうせ炉心融解してもすぐには死なねーだろと開き直る
「死にたくない」「怖い」「助けて」などのpostを連投していたtwitterでふざけたpost(参考)をしだす

■急に放射能がきたので
放射能とか抜きにしても現在のいわき市はやばいです。
水道復旧は未定、物資が全く入ってこない、田舎では必至の移動手段である車とバスはガソリンが無い為走れず、コンビニはどこもほとんど入り口にゴミ箱が置いてある、という状態です。
このままでは近いうちに世紀末都市と化してしまいます。というか冗談抜きに数人ぐらいは餓死者が出てもおかしくないです。
昨日東京行きの高速バスが再開し、しばらく東京にいたいのですが親が全く危機感を持っておらず、しかも強く頼むと逆切れするので行けるか分かりません。あと放射能怖いのであまり窓とか開けないでほしいと言っているのですが平気で開けます。
何というか今の自分は神経がささくれ立っているという感じで、急にすごくイライラして怒って椅子などを蹴ったり、怒鳴ったり泣き出したりしています(いわゆるヒステリー?)
そろそろ、食料が底を尽きます。

■今の願い
おにぎりが食べたい
東京に、というか安全な場所に行きたい
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佐藤
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誕生日:
1996/01/18
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自己紹介:
小学生から登校拒否→中学卒業後一年間無職→通信制高校→私大の法学部
母親は統合失調症
コミュ障
普通へと這い上がりたい

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